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貯金ゼロ、人脈ゼロ、資格無しで起業した男の話その3

*なぜサラリーマンを辞め起業しようと考えたのか?

 

 

んにちは。
新垣覚です。

 

 

長い前説の回がやっと終わりました。(苦笑)でもまだ読んでいない方は必ず読んでおいて下さいね。大事な事なので!

 

 

今回はなぜ、私はサラリーマンを辞めて起業しよう決めたのか?について書いていこうと思います。

 

 

ご存知の方も多いと思いますが私の前職はずっと自動車の整備業界です。東京で大学を卒業してそのまま大好きだった輸入車のディーラーに就職しました。

 

 

最初は営業として入社したのですが、だんだん車のメカニズムや修理に興味が出てきました。

 

 

と言うのは聞こえが良いですが(苦笑)営業をしていると上辺な事しか説明できない自分にだんだんと危機感を覚えてきていたからでした。

 

 

当時の私は寝ても覚めても車の事を考えている位の車好きでしたが、それはメカニズムではなく車のスタイルや乗り味、また運転する事自体に興味があったのです。

 

 

でも車は機械なので壊れます。ましてや輸入車なんて、儚いくらいに壊れまくります。「なぜ壊れるのか?」を自分でしっかり把握するためにもメカニズムを知る事は大事な事でした。

 

 

そんなある日、自社工場のパーツ担当が足りなくて整備に支障をきたしているという事を耳にしました。たしかに修理で入庫したお客様の車の修理が終わらずにどんどん「作業待ち」になっていました。

 

 

整備はそのほとんどが「部品」が必要になります。どんな名メカニックでも部品無しには修理出来ないのです。その部品が滞っていて修理が全く進まないという状態が長い期間続いていました。

 

 

私は意を決して会社に営業からパーツ課への配置換えを申し出ました。当時のパーツ課は日陰部署でした。メカニックみたいに目に見える活躍もない、営業みたいに華々しくもない。延々とパーツリストと呼ばれる分厚い本をめくり該当する部品を探り当て、それを発注してメカニックに渡すという地味な仕事でした。

 

 

今なら、コンピューターを使い車の知識がまるで無い人でも部品の検索は可能でしたが、当時は分厚いパーツリストという本とマイクロフィルムというスライドみたいなものから検索するというものでした。

 

 

輸入車に関しては資料は日本語化されておらず、英語やイタリア語で書かれていました。また車の事を熟知していないと該当する部品を探すまで、とてつもない時間がかかるという、地味ですがすごく専門性の高い仕事でした。

 

 

自分の向上心と修理部門の問題解決のために配置換えを志願した私でしたが・・・(次回に続く)

 

 

 

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