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貯金ゼロ、人脈ゼロ、資格無しで起業した男の話その9

 

んにちは。
新垣覚です。

 

 

前回は、オークション会場で洗車のバイトにのめり込んだ話を書きました。

 

 

あの洗車の仕事で私があらためて分かった事。それは「自分は本当に車が好きなんだ!」という事です。

 

 

司法書士試験のために伏せていたこの感情に気づいた時、私はもう一度車業界に戻りたいと考えるようになりました。身勝手ですよね(汗)

 

 

実はその考えに拍車をかける事があったのです。当時私は大阪府の茨木市というところに住んでいました。阪急京都線とモノレールが交差する「南茨木駅」という場所に住んでました。

 

 

私のアパートの隣は日本で一番大きい輸入車商社があったのです。ショールームも広大。工場も広大でした。その商社があるからそこに住んでいた訳ではありません。偶然です。

 

 

自動車業界に戻りたいと考えた時、その商社に入れないか?と夢想していました。しかし既に社会人を辞めてから3年。いくら前職は輸入車のアフターサービス業だったとしてもこの空白期間は致命的です。

 

 

バイトでもいいから潜り込めないか?狙っていましたが、そんな都合の良い話はなかなかありませんでした。性格なのでしょうか?一度火がつくとなかなか諦めないのが私の良いところ(?)です。お客のフリをして敷地内に入りバイトの募集がないか?探したりした事もありました。

 

 

当時は今みたいにインターネットで求人が出る便利な環境ではありませんでした。週に1回出る求人誌も欠かさずチェックしてその商社と他のディーラーの求人も探しまくりました。

 

 

輸入車ディーラーの営業の募集はあるのですが、なかなか、整備部門での募集はなく良いご縁に恵まれない日が続きました。

 

 

司法書士の試験は完璧に諦めていましたので、本気で就職活動みたいな感じになってきましたので焦りもでていた事もあったのでしょう。とうとう私はやらかしました!

 

 

履歴書を持って隣の商社に直接交渉を決行したのです。困惑する担当者さん。今、考えても申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも背に腹は代えられない状態でしたので必死でした。

 

 

一応、履歴書は預かってもらう事が出来、後日返事はいただける運びになりました。もう、記憶が定かではないのですが2,3週間後くらいに連絡をもらい整備部門ではない部署でアルバイトが決まりました。

 

 

これはチャンス!と思い本当に必死で働きました。この部署で頑張れば整備部門へ行ける可能性はゼロではないぞ!とものすごい夢想をして頑張っていました。

 

 

その頑張りを認められて、会社側から「希望の整備部門、それもパーツ課に行かないか?」とオファーが来た時は本当に嬉しかったです。(次回に続く)

 

 

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