【自分史】なまりが気になり話せない男


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東京とはいっても私の住んだアパートは八王子でした。
八王子といえば京王線の終点。
いわば端っこの田舎なんです。(八王子の方すみません!)
今では大都会でしょうが当時は田舎でした。

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そして八王子でもさらに田舎の高尾山向けの
山田駅というところに住んでいました。

当時は本当に寂しいところでした。
まだ自動改札ではない時代!
夜になると駅員さんもいなくなり無人駅になる時もありました。

考えられないでしょう!
電車賃が足りなくても何も言われないんですよ。
あっ、そんな事はしませんでしたが。(という事にして下さい)

もう長年、山田駅あたりは行ってませんが
インターネットで画像など見ると少しは華やかさがあります。

当時は小さなお店が駅前にあり
昔ながらの商店街がポツンとあったくらいです。

夜になると真っ暗でした。
私の住んでいたアパートはさらにへんぴなところにあり
夜は帰るのが恐いくらいでした。

しばらくは学校のある多摩動物公園駅と山田駅の往復でした。

でもせっかく東京に来たんだから他の色んな場所に行きたい!
という欲求がふつふつと湧いてきていました。

ミーハーですが新宿や渋谷はよく行きました。
同じように沖縄から上京した友人とよくつるんでました。
朝まで飲んでた事もありました。

そんな時は
“あぁ、オレって今、東京にいるんだ”
と感激したものです。

だってテレビの中でしか見た事のない世界が目の前にあるんです。

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歌舞伎町の繁華街や渋谷のスクランブル交差点
雑誌でしか見たことのないギターの銘器がならぶ楽器屋さん
着飾った都会の人!

刺激という意味でいけば東京のもつパワーや凄さはイメージを超えていました。

でも当時、沖縄に住んでいた時にはなかった悩みが出てきていました。
それは“訛り(なまり)”です。

上京するまでは意識していなかったけど東京にいる人と比べたら明らかにおかしい。

信じられないまもしれませんが当時は沖縄ってぜんぜん知られてなかったです。

“英語つかっているの?”
“日本なの?”
“沖縄って佐渡ヶ島の隣だよね?”
“どんなものを食べているの?”
“日本語うまいですね”

今考えたらものすごい偏見の目で見られてました。

沖縄がブームになりみんなに知られるようになるのはそれから15年後。
NHKで「ちゅらさん」が放映されるまで待たなくてはいけません。

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NHKのHPより転用

私は人前で話すのが恐くなっていました。
大学のクラスメイトとは恥ずかしくて自分から話す事はしばらく出来ませんでした。

クラスメイトはほぼ9割が東京近辺の関東の人でした。
自分のように地方から来た人は超少数派でした。

それも訛りが気になるきっかけでした。
今、考えると誰も気にしていなかったはずですが・・・。

当時は本当に気になって積極的に友人は作らなかった位です。

話したい事を口に出す前に頭のなかで標準語に翻訳し
何回かイメージトレーニングしてそれから口にする・・・
という思いっきり効率悪い事してましたから。

今となっては本当に良い思い出です。


coconara

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