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中学の予備校は尚学院に通っていた事もあり
進学に特化した高校という事で沖縄尚学高校に進学しました。
当時はとにかく本土の大学に行きたい!
という浅はかな考えだけで沖縄尚学高校を選んだ記憶があります。
友達の多い普通高校は楽しいかもしれないけれど
次のステップである本土進学を考えて迷いはなかったです。
沖縄尚学高校は旧沖縄高校が吸収された形の高校で
進学クラス+体育クラスという編成でした
当時の沖縄尚学高校はクラスが席次順にクラスが決まる!
分かりやすい仕組みでした。
○組まであるかなりの多クラス数で編成されていました。
私は真ん中の5組スタートでした。
自分の立ち位置が分かりやすい分早く成績を良くして
上のクラスに進みたい!という強い思いはありました。
でもそんな思いはまもなくぶっ壊れる事になります。
沖縄県下のそこそこ頭の良い連中が集まっているのですから
ちょっとやそこらでは上に上がる事はできません。
成績が伸び悩むのと、元来不得意だった数学が
大きなブレーキになり私はどんどんやる気を失っていました。
ここで粘り強くがんばれば結果はどんどん変わったのかもしれませんが
私はどんどん勉強から遠ざかりました。
はけ口ではないですがとにかく音楽に打ち込むようになりました。
そうそう、音楽も沖縄県下から色んな人が集まっていたので
そのレベルは高かったです。
色んな経験をもったバンドマンがたくさんいました。
気の合う仲間とバンドを組み、軽音部をつくり
授業なんかより音楽が大事!
そんな毎日に変化していきした。
でもさすが多感な時期・・・
音楽さえやっていいれば高校も楽しいなぁと思っていた矢先
そうもいかない気持ちが少しづつ大きくなってきていました。
他の高校の友達と話をしたり学祭に行った時に感じた
あの一体感に衝撃を受けてしまいました。
自分の高校には無いあの“青春感!!”
あぁ、自分は何てところに来てしまったんだ。
高校の選択を誤った!
そんな後悔の気持ちが大きくなってきたのです。
そしてついに両親に普通高校への転入を申し出ました。
詳しい事はもう忘れてしまいましたが
確か同学年には編入は出来なかったはずです。
でも1年無駄にしてでも普通高校に転入したかったです。
今、考えたら無謀というか勝手なんですけどね。(恥)
この続きはまた今度。